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何か納得のいかない言葉 [雑記]

何か、納得のいかない言葉と言うものがある。
耳にするたび、釈然としない気持ちになる。
いくつかある、そんな言葉の一つがこれ。

それ以上でも、それ以下でもない

そのものずばりだと、強い口調で自信満々に言い切る場面でよく見られる言葉だ。
でも、以上でも以下でもないって、なんだかおかしくない?
例えば、1から9までの数字で、7以上と言えば7、8、9のことだ。
7以下と言えば、1、2、3、4、5、6、7のことになる。
どちらにも、「7」は含まれる。
「7以上ではない」のなら7、8、9ではない。
「7以下ではない」のなら、1、2、3、4、5、6、7ではない。

「7以上でも、7以下でもない」
これは、7はもちろん、7以外のどんな数字でもない。そんな数字は存在しない。
同じように、「それ以上でも、それ以下でもない」なら「それ」ではないし、「それ」以外の何かでもない。
意味がわからない。意味が通じない。納得いかない。

他にも、耳にするたびに首を傾げてしまう言葉はある。

何の罪もない人々が犠牲になった

この言葉も、ニュースやドラマなどでよく耳にする。
この言葉を聴くたびに、ついつい考えてしまう。
罪があれば、犠牲になってもいいのか?
罪のある人間なら、犠牲になっても心は痛まないのか?
そういうつもりで「罪のない人々が犠牲になった」と言う表現をとっているの?

さらに、こうも考える。世の中に、罪のない人間なんて存在しない。
宗教的、道徳的、倫理的、色々な捉え方はあるだろうけど、まったく何の罪も犯していない人間なんているわけがない。
国の法を犯していなければ罪がない?
法を犯していても、立件されないうちは罪がない?
どこからどこまでが「罪のない人間」で、どこまで行くと「罪のある人間」になるんだ?

「罪のない人間が~」云々の言い回しを聞くと、どうしても「罪のない人間」と「罪のある人間」の境目がどこに引かれているのか、気になってしまう。
罪のある人間とは犯罪者のことなのか?

何の罪もない人々が犠牲になった

この言い回しを用いる人の心の中には、罪のある人間なら犠牲になってもかまわない、そんな意識が働いているのだろうか?
是非聞いてみたいところだが、率直に「じゃあ罪のある人間なら犠牲になってもいいのか?」と聞いたところで、揚げ足を取るなと鼻じらむだけだろう。
別に揚げ足を取るつもりなんてないんだけれど・・・・。

ついでにもう一つ。
以前、身の回りでなんだか妙に「予定は未定」という言い回しが流行った時期があった。
それはもう、勝ち誇ったように「予定は未定ですから!」と嬉しそうにおっしゃる。
予定は未定、確かにそうなんだろう。
でも、この言葉もあまり好きじゃない。
予定は、予定でしょ。
別にわざわざ「予定は未定」なんて言い方する必要性を感じない。
予定は予定。それでいいんじゃないの?


なんとなく、そんなことを、書いてみたくなった。[モバQ]

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